シェアリングサービスの増加に思うこと

数年前から本格的に始まり、ここしばらくは急増しているシェアリングサービス仲介サイトを見て、改めてかつての大量消費時代はなんだったのかを思うことがあります。
シェアといっても最近はいろいろとごっちゃになって何をもってシェアというのかわからない状況にあるとも言えますが、簡単に言ってしまうと、要するに無駄を省いて不要な出費を抑え身軽になろうということだと思います。

振り返ってみると昭和30年代から平成の始めまでの期間、我が国は経済成長に支えられ、アメリカの豊かさにあこがれてアメリカに追いつけ追い越せで消費は美徳とされ大量消費にまい進したわけですね。平成時代のはじめにバブル崩壊となり、その後は経済成長はおろかサラリーマンも厳しい現実に晒されることとなり、一部の富裕層を除いて昔はよかったとしか言えない状況になってしまったわけです。

今や若者は自動車を欲しがることもなくなってしまっていると聞きます。団塊世代の人たちは昭和40年代後半からのマイカーブームに乗ってこぞって自家用車を買い、休日にしか乗らない自動車が毎日駐車場に停まっているにも関わらず、自家用車を所有し、休日にはマイカーで家族ドライブをするとかショッピングセンターに買い物に行くのが当たり前の時代でした。

しかし、たまにしか乗ることのない自家用車を所有するだけで年間に多くの費用が発生することを考えると必要な時にレンタカーを借りれば良いとなり、さらにレンタカーより手軽に借りることが出来、費用的にも安く済むカーシェアリングが盛んになってきたというのも自然の流れといえるでしょう。

ネットで展開されているフリマや、外国人観光客の増加に伴って展開されている「民泊」、あるいはタクシー業界に物議をかもしている「ウーバー」などをシェアと位置付けて良いものかはともかく、数多くのシェアリングサービスが始まっていますね。

この流れからすると今後ますますシェアリングサービスが定着していくことは間違いないものと考えられます。


考えてみれば、我が国は本来農耕民族であり、集落を形成して農業を営む形態をとっていました。集落で農耕を行なうには必要な水は共有するものであり、その水の使用にあっては共有である以上、使用にあたって集落のみんなのルールが自然に出来、そのルールに従うのが自然であったと思われます。また、農耕器具などについても貸し借りが自然に行われていたものと推測されます。
今でも田舎に行くと川に共同の洗い場があったりして、その洗い場は集落のみんなが使うことから自然に管理が行われるわけですね。
みんなのものであれば、それを使うにあたって自然にルールが出来、それを全員が守り維持されていくことになります。

例えば借りたものはきれいにして返す、不具合があれば元に戻すなどは当たり前といえるでしょう。
カーシェアリングでは使用したあと車内をきれいにすることが義務付けられていますがこれなどは当然ですね。

そういった当たり前のことを大量消費で、新しいものが出てきたら買い替えれば良い、古いものはまだ使えても捨ててしまえば良いとした風潮が広まり、結果、モノだけではなく人の心も捨ててしまったようにも思います。

たとえば、管理人は陸っぱりの釣りが好きで、シーズンには漁港や湾岸施設によく出かけます。いうまでもなく漁港は漁師さんの仕事場でもありますし、湾岸施設は湾岸で働く人たちの仕事の場でもあります。そこを使わせてもらうわけですから、釣りの際に出る仕掛けのパッケージなどのごみは持ち帰って釣り人の責任で釣り場はきれいな状態で元に戻すのが当たり前のところ、釣り場にはごみが散乱、仕掛けの糸や針のついたままの仕掛け、弁当や魚のエサのパッケージなどがそこら中に捨てられていることをよく見かけます。
釣り具メーカーや釣り具販売店もごみを放置しないよう啓蒙活動をされていますが、一部の心無い釣り人はまったく無関心で平気でごみを捨てている実情があります。この釣り場などは共有とはいえないですが、使わせてもらっている以上は使ったあとはきれにも戻すのは当たり前で、ルールというよりモラルの問題ですね。
ところがそんなことを考えもしない者が多くいるのも事実です。

団塊世代の人たちは特に、ご自身が幼い頃にはまだ近隣のコミュニケーションが取れていた時代で、自分がなにか悪いことをすると近所のおっちゃん、おばちゃんに平気で叱られたご記憶があるでしょう。また、学校で教師に叱られたと親に言っても、「それは叱られたお前が悪い!」と相手にしてもらえなかったこともおありと思います。
いつしか、そんな近所のコミュニケーションも希薄になり、サラリーマン化した教師の増加もあって教師の側にも問題があるかも知れませんが、親はちょっとしたことで学校に苦情を言い出すなど親と教師の信頼関係も崩れるなど、本来あったコミュニケーション環境も壊れる、モノの豊かさは増えたものの子供のしつけも満足にできない世帯が増え、結果、今の世の中はどうなってしまったのか?と嘆く。

しかし、それらはある意味では自分たちの蒔いた種で、かつてのように子供たちが年老いた親を見るなどはなく、やがてそのツケが自分たち回ってくることを実感することになるわけですね。

話がシェアリングサービスとは関係ない方向に向かってしまいましたが、一般の商取引でも良い商品やサービスでは売り手側と買い手側に良い関係が発生します。

しかし、シェアリングサービスの増加は、単に無駄を省いて節約しようというだけでなくシェアする人たちの間で自然なルールが形成され、シェアする人たち同士の良いコミュニケーションが生まれる可能性を秘めているものと思います。


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