ボケないためにどうすればよいのかを考える

高齢者社会になればなるほど認知症患者が今後ますます増える傾向にある。これは事実と思います。

あえて認知症と書かずに「ボケないために・・・」とタイトルにしましたが、たしかに「認知症」という響きは以前の「痴呆症」よりも軽い印象を受けるものの現実にわかりやすく響くのは「ボケる」のほうではないかと思い、ここでのテーマは、

「ボケたらあかんで!」

にあり、どうすればボケないで済むのかを考えてみたいと思います。

 


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父親がボケ(認知症)になった!

私の父は89歳で他界しましたが、亡くなる前の数年間はボケてしまい、最終的には介護施設に入所してその後病院で亡くなってしまいました。父の母親、つまり私の祖母は私が中学生の時に88歳で亡くなりましたが、亡くなる1週間前までは元気に過ごしており、風邪を引いたとして1週間ほど自宅で寝込んだだけで逝ってしまい、死因は老衰とのことでありこれは大往生だったと思います。父は祖母が80歳を超えたあたりから「ボケてきよったなあ」と言っていましたが、私から見るとボケるといっても単に高齢によって物忘れが多少ひどくなる程度で日常生活ではなんら問題はなかったと記憶しています。父は「オレはお母ちゃんより長生きするねん!」と言って、結局は祖母より1歳長生きして、それは目標を達成したとはいえますが、実質的には祖母には勝てなかったなあ・・・というのが正直なところです。

父は40歳の頃から趣味として詩吟を始めたようで、その後はサラリーマン生活の傍ら詩吟に打ち込み自分の流派を起こして、市や県での活動なども積極的に行ない、まさにライフワークとして取り組んでいました。定年後は趣味の詩吟に打ち込むことが出来たわけですから本望だったと思います。
しかし、70代後半には疲れが出たのか、お弟子さんの練習場所である教室に出向いた際に突然倒れることがあったりして体力的な面での衰えを実感したか、あるいは加齢による技量の衰えを感じたためかわかりませんが、お弟子さんに流派の会長の座を譲り自身は宗家、長老としての立場になり、その後は自らが出向く練習場も減らし、その送迎は私が時間を作って行なうようにしました。おかげさまで父の起こした流派はお弟子さんに引き継がれ、今も高齢者の方々の趣味の団体として機能していますが、中には100歳を超える会員さんもおられ趣味の持つ力は大きいものだなあと改めて感じています。ただ、高齢に伴ないだんだんとメンバーの数が減少するのはやむを得ないところとは思います。

私は、父親が60歳代中頃に独立して実家を出ましたので、その後は父母の2人世帯でずっと生活する状況にありました。
その後、父が80歳を超え、同居していた母親が亡くなりましたが、その時に父は「お母ちゃんが死んでさみしい、お前しばらく家に居てくれ」と言ったのですが、それまでの父の様子からまさかそんな言葉が出てくるとは予想もせず驚いたことを記憶しています。定年後、父は病弱気味だった母親からいろいろ用事を指示され、まめに動いていましたが、今思えばそれが結果的には良かったのかなあと感じます。

父のあまりの落胆ぶりに、私はしばらく実家で父親と生活することとなりましたが、落ち着いてからは再び実家を離れ時々実家の様子を見に行く生活となりました。
しかし、母親が亡くなって3年もたつか経たないかのうちに、父の様子に異変を感じ、私は事務所を実家の2階に移して様子を見るようにしましたが、症状は徐々に進行し、この状況ではケアすることは困難と判断して実家を処分して私の家族と一緒に生活出来るように変更しました。

最初はまさにテレビドラマか映画の1シーンを見るかのように、昼食を終えた途端に父親が「昼飯を食わなあかんな」と言ったのを聞いたことでした。

「えっ!何言うてんねん!今、食べたがな」と言うと、「ああ、そうやったか」と。

また、当時、父は自分で近くのスーパーに買い物に行き、自身で食事も作っていましたが、ある時、私が昼ごはん作るわと言って冷蔵庫を見ると空っぽ!
「買い物に行ってないんか?」と聞くと「いや、買ってきてるで」と。

今のはなんだったのか!?、まさかボケの始まり!?が印象的だったことを今も覚えています。

転居して私の家族と同居生活をするようになって多少はボケの進行が抑えられたかと思いますが、やがて別の病気を発症したこともあり結局は入院生活のあと介護施設に移り、そこで再度病気の症状が悪化したことで救急搬送され、搬送された病院にしばらく入院したあと亡くなってしまったわけですが、私のところで排泄などもなんとか自分自身で出来ていましたので、完全になにからなにまでのケアをすることがなかった分、報道などで見るケースより我々の介護は軽かったと思います。

しかし、あれだけ積極的に活動していた父がまさかボケるなどとは思ってもいなかっただけに、そのショックが大きかったことは間違いありません。

検証と反省

なぜ、父がボケを発症してしまったのか?を考えてみた時に、一番の原因はやはり配偶者である母が亡くなってしまったことにあるのではないか?と思います。
父母ともに明治生まれの人間でしたから昔気質ではありましたが、母は父を立てながら実は裏で父を牛耳るという典型的なパターンだったといえます。これが実は一番家庭円満なのかも知れませんね。
それはともかく母は多少病弱でもあったことから、前述のように父はなにかと母から用事を言いつかり、それをマメに実行することによって日常生活での刺激を受けていたものと思います。
その母が亡くなり、やはりなにかの支えをなくしてしまったといえるでしょう。

ライフワークともいえる詩吟については、それは精力的、熱心に活動していたにも関わらず、年齢を重ねて体調を崩したこともあり体力的な自信をなくすと同時に、身体の衰えとともに若い時と同じように声が出なくなり、それなりのテクニックを維持できなくなったことに対して、人前で吟じるプライドが許さなかったのではないか?と思います。

私自身も中学生の頃から趣味でギター演奏を始め、それで音楽活動を40歳代中頃までやっていましたが、ある程度のテクニックをマスターすると、空白期間があると当然技量が落ち、人前で演奏することが出来なくなってしまうことを実感しています。今まで出来て当然だったことが出来なくなると恥ずかしくて人前で演奏できなくなる気持ちが出てくるのです。

そんな部分も要素として考えられますが、父は母が亡くなったあとは用事で外に出る以外はほとんど寝て過ごしており、単なる体力の低下によって動くことが満足に出来ないだけでなく、なにもしなくなってしまったことが最大の原因といえるのではないかと思います。

一方、ケアする側として、最初の症状に気付くより以前からもっとマメに様子を見て母が与えていたと同じように父に刺激を与えるようにしてやれば、ボケにならすに済んだとまでは言わないまでも、もっと進行を遅らせることが出来たのではないか?その責任の一端は私自身にあったと反省しています。

ボケないようにするにはどうしたらよいのか

結論から言うと、やはり身体が動くことが一番ですが、それより

・頭(脳)に刺激を与えることを続ける!

が一番重要ではないかと思います。

私の祖母はどこにでもある嫁姑の問題はあるにせよ、息子夫婦、孫2人との同居生活の中で、特に手のかかる私の面倒をずっと見てしょっちゅう刺激を受けていたと思います。私はいわゆる「おばあちゃんっ子」でしたので祖母が亡くなった時の悲しみは大きいものでしたが、祖母はそんな環境の中で自分の子育てが終わり、次は孫の面倒を見るという昔の典型的な女性の過ごし方をしていたと思います。
昔も今も、基本的に女性は特に家族との生活や孫との交流がある意味での生き甲斐のようなものになるのではないでしょうか。

家族と別居し、核家族となってそのような形態が薄れる中にあっては、その代替となる地域のコミュニケーションとか趣味の交わりなどで、とにかく人と接することによって何らかの刺激を受けることの重要性は大切といえるでしょう。

我々でも時として何もせずにぼうっと過ごしたり、なんとなく寝てしまうことで時間が過ぎると、なにをするにも面倒臭くなってしまいアクションを起こす気力がなくなってしまいます。
たまに身体を休める意味でぼうっと過ごす時間は必要と思いますが、問題はそれが続くと単なる怠惰の連続になってしまいボケが始まるのではないかと思いますね。

いわゆるボケは、加齢とともに昔からずっと存在するものといえるでしょう。高齢者社会になって高齢者が増えることによってボケ老人の数もそれに比例して増加するともいえますが、ボケになる確率は家庭環境や社会構造の変化によって以前よりずっと高くなっているように思えます。

今更家庭環境や社会構造がどうしたこうしたと言っても、急激に改善されることはありませんので高齢者自身または家族がまさに自己責任で取り組むしかないでしょう。

とにかく、

・なにか興味を持てるものを持って(探して)動く

・単にぼうっと過ごす時間を少なくする

・人と接して孤独にならない

などを実践するしかないと思います。

 


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